上野愛咲美棋士を勝手に応援するブログ

私は上野愛咲美さんの大ファンで、ハンマーが魅力です!! このブログでは、上野愛咲美さんの碁を動画で分かりやすく解説し、上野愛咲美さんの魅力を伝えていこうと思っています。 詰碁も出題します。

しんちゃんの碁 ~ 苦学生と囲碁の両立は無理だった。そして、母の死。。。

私は無事に旧帝国大学のどこかに無事に入学できましたが、


親戚は大叔母さんで、年金暮らし。


私は超貧乏家庭で育ったため、実家からの仕送りは1円もなく、


家庭教師、塾講師のアルバイトと、奨学金で毎月何とか乗り切っていました。


授業料免除も受けないといけない状況でしたので、勉強もかなり必死にやりました。



このような状況では、囲碁が伸び盛りの学生時代も、


囲碁を打つ時間があまりとれずに、全くと言っていいほど実力は上がりませんでした。


学生時代の実績としては、個人戦の全国大会はベスト16が最高で、


負けた一局は完全に私の勝ちが決まっていたのに、考え過ぎで落とした無念の一局でした。


あとは、団体戦は周囲の大学にライバル大学がなかったため、毎年出場しました。


大学4年生の時に個人で5勝1敗と、まあまあ頑張りましたが、私が全勝していれば


私の大学が囲碁部史上初の2位になるところでしたので、大変手痛い一局となりました。



そして、大学4年が終わりを迎え、卒論を頑張っているところに、


実家から突然電話がかかってきて、「母が危篤だ」とのことで急遽帰省しました。


母は生まれつき重い心臓病があり、それから重い糖尿病、


右脚大動脈りゅう破裂で半身不随になり、晩年はずっと病院に入院していました。


病室で2泊くらい、父、弟、私とで交代で見守りましたが、他界してしまいました。



この日を境に、心は荒れ果て、5年くらいは泣いて過ごしていたような気がします。


周りは親が居て当たり前の幸せな状況で暮らす学生たちばかりでしたから、


私の胸の内もご想像いただけると思います。


母は、私が全国大会に出るたびに病院に見舞いに行くと、「私のことを病室仲間に


自慢の孝行息子だ」と言っていたようでしたので、


親孝行をしたものとしたものでしょうか。

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